敷島画廊 blog







日々感じたこと考えた事など気ままに綴って行きたいと思います。





2017 長谷川資朗パリ展での私の挨拶文。


2017 1月2日(月)






新年 明けましておめでとうございます。

新しい年になり、今日の夜見る夢が初夢と世間では言われていますが今日の夜、外に出て見ると下弦の月に光り輝く金星が大接近していました。
また 小さいですが火星が金星の上に光り耀いていました。
月に僅かの雲がかかり、その雲は虹色に光り 瑞雲の様を呈していました。
瑞雲を見ると幸せに為るとの言い伝えがあります。
皆様にも幸せのおすそわけが出来ればと思います。
今年も宜しくお願い致します。




2014
3月11日(火)

今日は3月11日、あの大震災から3年が経った。あの時私は仙台市内のデパートの地下一階にいた。突然の激しい揺れと暗闇の中に閉じ込められていた、老婆たちにしがみつかれ仁王立ちになって次から次から来る余震に耐えながら時を過ごしていた。その後誘導されるままに外に出てみると人人の波であった、余震でビルのコンクリートも時たま落ちてくる、それを避けながら駐車場に向かうが車が出せない状態だった。時間が過ぎ何とか車を出し、一人残している実家の母の元に向かったがバイパスや道路が大混雑しているし信号が全く駄目な為、車のナビを設定したら津波の去った後の港湾の方に誘導されてしまった。そこは瓦礫と潮溜まりと流木と裏返しになった車、難を逃れて歩いている人々、赤い警告灯を灯す警察車両と消防車両がいた。迂回しながら段差の着いた道路を越えながら何とか母の元に何倍かの時間をついやしながらようやくたどり着く事が出来た。次の日からは車のガソリンも費やしてしまったので毎日全国から集まってきてくれた支援の警察車両と自衛隊車両と消防車両が走り廻るのをホットした気持ちで眺めていた。そして全国にいる友人・知人から温かい安否・励ましの電話・物資を頂いた、とても嬉しかった。数日経ち、南三陸町に行ってみて目の当たりに大惨事で有ることが理解出来た、とても悲しく自分が何が出来るかを深く考える事になり自分なりの動きを今日までしてきたがまだまだ何も出来ていない。何がこれから出来るか考えながらまた今日から始めようと思う。復興はまだまだ先の話です、まだ瓦礫が片付いただけ。今日もあの日と同じ様に小雪が舞っている。



2月6日(土)


私の古くからの知人で山形県寒河江市で医師を生業にしている菊地隆三先生から先日「いろはにほへと」題の詩集が出版社経由で贈られて来た。菊地先生は数々の詩集、小説を書き出版して来たがこの度の「いろはにほへと」が私にとっては一番心に響く詩の数々だった透明で静かに彼岸を見つめる言霊が確かにその詩には存在している、人生を見つめて来た鎮魂が確かにそこあった。
カバー「いろはにほへと」は数十年来、大事にして来た熊谷守一画伯の書との事。



1月10日(木)

 新年になってからもう10日経ちました、巷ではようやく仕事が始まったようで慌ただしくなってきた。
私の友人の画商仲間から頻繁に電話が来るのだが皆一様に今年は良い年にしたいと言う電話だ、私も良い年にしたいと思う。
3.11の震災で家屋を失った人々、また身内を亡くした人々にとっても良い年に為って欲しいのだが年末・新年と南三陸町に行ってみたのだがまだまだ復興は進んでいない、瓦礫が片づいただけである、本当に悲しい風景が存在していた、政府は復興復興と言っているが予算も計上しているのだが縦割り行政がどうも復興の進捗を阻害しているようだ地元の人々の気持ちを考えるととてもやるせない気持ちになってくる、官僚も政治家ももっともっと被災を受けた地元に入り、どうしたら良いのか最善は何か、被災住民を速く安心して生活出来るような状況は何かを考えて欲しい。私の知り合いの官僚はまだ3.11後電話を寄こした限り一度も現地には入っていない。

1月2日(水)


新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
 年頭のごあいさつや時間が有るのでホームページを気ままに作っていたら表紙からグチャグチャになって最初から作り直し、あっというまに夕方になってしまった。